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特別支援学校高等部入学のころのはなし [主人公の供養]

平成12年4月に入学しました。
当時は「養護学校」と呼ばれていました。
以前から愛知県は身体障害と知的障害は別の学校でした。
このころから身体障害と知的障害を同一の学校で受け入れるようになりました。
主人公が選択したのは旧身体障害系の学校でした。
入学したての頃は他の保護者より「あんたの子が来る学校ではない」。
また、教職員からも「知的障害入学反対」のチラシも頂きました。
それらのチラシは地元の教育委員会へ提出し、「どうなっているんだ」と嫌味も言いました。
解決策は「時間」しかないと個人的には思っていました。
この学校を選択し、旧知的障害系の学校を選択しなかった理由は、通学時間だけでした。
通学時間が約5分の所と約1時間の所を比べれば自ずと答えは出ます。
保護者や教職員が反対した理由は、「暴れたときに他の生徒に危害を与える可能性が大きい。建物の構造上、窓が低い位置に設けられているため窓から投げられたらどうする。」でした。
保護者の気持ちを汲めば、言わんとしていることは全く理解ができないものではないです。
知的障害のことをよく理解せず、ただ論理が飛躍しすぎていました。
実際に他の保護者の苦情に対しては「入学決定をしたのは教育委員会であり、直接保護者に訴えるのはお門違いである」と言い放ちました。
教職員のことは「組織決定されたものであり、あずかり知らぬところ」としました。
収まるのに1年位要したでしょうか。学校の名称が特別支援学校になってからはそういうつまらないことはなくなりました。
こういったことも今では懐かしいです。


知的障害児にとって「五月病」とは? [主人公の供養]

正確な統計はとっていませんが経験則で述べます。
「五月病」は場合によっては死に至る病です。
2016年12月5日 特別支援学校・福祉作業所・医師へのお願い でも書きましたが、特別支援学校高等部を卒業したの同級生5人のうち、5月早々に大きく体調を崩した子供は我が家を含めて2人いました。
この数を多いと判断するのか、少ないと判断するのかは自由です。
五月病に陥ったと想定される経緯を述べます。
まず一般論ですが、学校を卒業し、新しい環境に夢や希望を持って臨みます。
しかしながら、自分の描いたイメージと現実がマッチしないことに焦りやストレスを感じ拒絶反応を起こすことがあります。
五月病とはこの拒絶反応に起因する他人から見て様々なネガティブな現象(例:出社拒否)です。
医師はこのことに気が付かなければなりません。 解っていると思いますが「医師の都合ではなく、患者の都合」が優先されるべきです。
主人公はどうでしたでしょうか。
4月からは障害者総合支援法における介護給付のうちの「日中活動系サービス」の『生活介護』を受けるため、作業所に通いました。
即ち、3月いっぱいまでは楽しい学園生活をおくっていました。
職場実習はしましたが、それはキッザニア東京のアトラクションと何ら変わりのないものでした。
SANY0028.JPG

本人にとっては準備期間がなく、いきなり新生活を迎えたわけです。
「ちやほやされた生活」に終止符が打たれました。
それまでは、いろいろな仕草に笑っていただいたりして、当意即妙な反応(クイックなレスポンス)があったわけであります。主人公もそれを期待していて、傍から見たら「お茶目な」節がありました。結果、作業所では期待が裏切られたと判断したようです。
すべての行動が無視され、周りの人たちは黙々と作業を続けられました。
主人公のために指導員が加配されたようですが、もともと少ない指導員は主人公ばかりをかまっていられません。
特別支援学校とは違うのであります。主人公は現実を全く理解できませんでした。

情けないことに保護者は毎日喜んで通所している姿に安心し、コミュニケーション能力の欠如を忘れ、ストレスを察知できませんでした。
医学的に解明されたわけではありませんが、遺伝子に「Ⅰ型糖尿病」の因子が組み込まれていたのか、脳からの様々な指令にこの因子が働いたのだと保護者は考えています。今思うと、どんな事情があろうとも生活の急激な変化は避け、ソフトランディングに努めるべきでした。
(テーマ五月病)
2017年3月12日 卒業式の翌日から五月病が始まります(大胆な仮説) 
2015年4月30日 初めてのお給料をいただきました

主人公も好きだった牡丹の花が咲き始めました [主人公の供養]

古来より美人を顕す言葉に
「たてば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」があります。
保護者は意識してこれらの植物を庭で栽培しています。
これらの中で1年のうちに最初に咲くのが牡丹です。
牡丹の種類は、島錦(5)・ハイヌーン(お休み)・花遊(6)・新七福神(お休み)・大正の光(2)・貴婦人(3)です。
()内の数値は今年の花芽の数
この内、花遊が咲き始めました。

(テーマ牡丹)
2015年4月25日 18歳 飼い犬と一緒に記念写真 花遊
2015年4月23日 18歳 朝から鑑賞会 貴婦人・花遊
2014年4月25日 17歳 祖母と鑑賞会 新七福神・ハイヌーン
咲き始めは昨年と同じぐらい。
と言うことは平年より早い。
今年の冬は去年より寒かったが、それは開花に関係ないようだ。

供養のひとりたび [主人公の供養]

と言っても特に信心深いわけではないので、恐山に行ったり、霊場巡りをしたわけではありません。作法も知りません。
古来より「門前町」は神社仏閣の周りに食事処や土産物店が集まり、純粋にお参りだけに専心する社会ではありません。
これで1つの経済が回るものです。
身勝手な話かもしれませんが、今回のたびは自分に負荷をかけて主人公を供養し、おいしいものも食べることでした。
具体的には、15キロのリュックを背負って山道を歩くこと。
場所は礼文島の4時間コース・8時間コースと宗谷岬でした。
季節外れの暴風雪により、風上に向かっての歩行は困難を極めましが、それぞれの岬の突端で「般若心経」を唱えました。
なお、安全を優先し海岸沿いや稜線沿いは避け、舗装道路があればそこを歩きました。

美味しいものはススキノのラーメン。稚内のたこしゃぶ。小樽での海鮮料理でした。
幸いにも宗谷岬からは樺太が遠望できたり、利尻水道航行中には流氷の破片も窺えました。
天候には恵まれませんでしたが、非常に満足した定年退職直後の「供養のひとりたび」でした。
※嘗ては国鉄の駅で野宿出来ましたが今はできないのが残念。

「脊柱側弯症」による歩行矯正のためのクツ発注の記録 [主人公の供養]

「脊柱側弯症」が及ぼす影響を低減するために「コルセット」をあつらえたり、「クツ」の中敷き等を特注しました。
「コルセット」はすでに2017年2月8日 ブログにて記録を投稿しました。
今回は「クツ」に特化します。クツの新調は年に1足認められました。
特注の内容は既製品をカスタマイズする方式です。

2008年12月1日(小6)
愛知県コロニー中央病院にて装具(クツ)を採寸しました。
これは脊柱側弯症が原因で歩行困難と考えられ、スムーズな歩行を可能とするためクツに細工をするものでした。
採寸時にドクターに猿芝居を打つがすぐにばれた。

2009年4月12日(中1)
市民健康館で肥満防止の献立チェックと「足形測定」を受けました。
特に足形測定は「脊柱側弯症」と「歩行」に強い因果関係を証明するものと捉えました。
「足形測定」結果は下の写真の通りです。前後左右のバランスが悪い。



2012年10月30日(高1)
コルセットと同時に作りました。
クツの新調は年末が多いですが、これも新年は新しい靴で迎えようというものです。

※4月10日から父は旅に出かけます。
したがいまして、当分の間ブログ投稿はできません。
ご理解をお願いします。

入学式を振り返って [主人公の供養]

4月になりました。新しいステージの始まりです。
今回は「入学式」に特化します。
主人公は小中学校は「普通学校」、高校は「養護学校(特別支援学校)」に通学しました。
養護学校…当時の正式名称は「養護学校」。特別支援学校とは呼ばれていませんでした。

2012年4月6日 入学式前の教室にて入学式の撮影はできませんでした。

入学式は小学部、中学部、高等部が合同で挙行されました。
学校が一丸となって新入生を迎える姿勢をヒシヒシと感じました。

中学校…
2009年4月7日桜が満開の入学式 親クラスでオリエンテーション⇒入学式⇒6組(特殊学級)の順で紹介しています。
普通学校の良いところがいっぱいあふれています。
 
2009年1月29日教室の下見 中学入学を控え、中学校から招へいがありました。
校長先生、教頭先生、担任の先生から熱烈歓迎を受けました。
 詳細は歌舞伎ジャーナル 第90号 に記載しております。

小学校入学までの道のり…2002年9月14日~2003年7月18日までの記録県教育委員会とのやり取り
関連で他の親御さんのレポート歌舞伎ジャーナル 第3号
父は今よりこの頃のほうが数倍熱かった。

7年間(2009年~2015年・小6~高等部卒業後)のお花見 [主人公の供養]

3月22日のブログでお花見の特集をお約束しました。
今回のブログがそれです。
桜と言っても種類が豊富にあります。
身近な慣れ親しんだ種類を列記しますと
ソメイヨシノ、ヤマザクラ、シダレザクラ、ヒガンザクラ、カワヅザクラ。
お花見で訪れた場所は明治村、里山、犬山城一帯、五条川など近場ばかりでした。
お花見と言っても桜の下でごちそうを食べるのではなく、桜を愛でることが中心でした。そのため、SLや川船から見たり、通過する電車の横から見たり、里山に登ったり様々なスタイルで楽しみました。
最後の花見から約1か月後に「急性発症1型糖尿病」により緊急入院。その後1か月足らずで帰らぬ人となりました。


コルセットの変遷 [主人公の供養]

2月8日のブログ「知的障害児の脊柱側弯症のレントゲン撮影とコルセットの作成」の続きです。
まず、このブログでコルセットのことを書いたのが24回。
2008年からですので、平均2.5回/年ということになります。
記事数の割合では、約2%となります。
そもそもコルセットをあつらえた理由は「脊柱側彎症」の改善を支援すること。
手術をすれば改善はしたと思いますが、歩いたり、走ったりすることが上手にできるかは未知数でした。
医師とも相談し、骨が固まるまでは続けることになりました。
中学3年生ぐらいから、「これが最後」と言っていましたが、最後は迎えることができませんでした。
(テーマ:コルセットの代表的な記事(古い順))
2008年02月27日 11歳 骨の曲がり具合の数値を表示 悪くならない理由も
2008年06月12日 11歳 新旧比較 1年半の成長の記録
2009年05月25日 12歳 コルセットの型取り レントゲン写真あり
2010年05月14日 13歳 歯科&整形外科の受診 「てんかん」のPRも
2011年05月31日 14歳 小児神経科と整形外科の受診 コルセットは5月
2012年10月30日 16歳 今回が最後のはず? 2003年から装着
2015年02月06日 18歳 この年も作る予定でした 前年5月にも作成

卒業式の翌日から五月病が始まります(大胆な仮説) [主人公の供養]

まず、一般論として五月病のイメージを簡潔に書きます。
学校を卒業し、新しい環境に夢や希望を持って臨みます。
しかしながら、自分の描いたイメージと現実がマッチしないことに焦りやストレスを感じ拒絶反応を起こすことがあります。
五月病とはこの拒絶反応に起因する他人から見て様々なネガティブな現象(例:出社拒否)です。
 
では、重度の知的障害児(者)にこれが当てはまるか。
※知的障害児(者)としたのは法的に解釈がめんどくさい部分がある。 
主人公を例に考えてみたい。
(テーマ特別支援学校高等部・中学校それぞれの卒業式の翌日)
18歳 高等部卒業翌日 急にPCで算数をやり始める
15歳 中学校卒業翌日 卒業式で歌った「大地讃賞」がフラッシュバック

私の感想は、主人公は現実を全く理解できませんでした。
ビデオなどを通しても、新しい環境への夢や希望は全くうかがえません。
因みに京都大学霊長類研究所 のwebからチンパンジーやボノボに五月病の研究発表があるか検索してみましたが、見つかりませんでした。
なんでこれを調べたかというと、私が見た範囲で主人公とチンパンジーの「アイちゃん」「アユム君」の平均的な知的レベルで大差ないと勝手に思ったからです。もちろん、進んでいるところ、遅れているところはあります。

4月からは障害者総合支援法における介護給付のうちの「日中活動系サービス」の『生活介護』を受けるため、作業所に通いました。
即ち、3月いっぱいまでは現状維持。
準備期間がなく、いきなり新生活 を迎えたわけです。
「ちやほやされた生活」に終止符が打たれました。
それまでは、いろいろな仕草に笑っていただいたりして、当意即妙な反応(クイックなレスポンス)があったわけであります。主人公もそれを期待していた節がありました。結果、期待が裏切られたと判断したようです。
すべての行動が無視され、周りの人たちは黙々と作業を続けられました。
主人公のために指導員が加配されたようですが、もともと少ない指導員は主人公ばかりをかまっていられません。
特別支援学校とは違うのであります。
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   (卒業アルバムより)
主人公は強いストレスを感じたのでしょう。
情けないことに保護者は毎日喜んで通所している姿に安心し、コミュニケーション能力の欠如を忘れ、ストレスを察知できませんでした。
2015年4月にはこのブログを13回更新しましたが、希望に満ちた内容だと思います。

医学的に解明されたわけではありませんが、遺伝子に「Ⅰ型糖尿病」の因子が組み込まれていたのか、脳からの様々な指令にこの因子が働いたのだと保護者は考えています。
病名は「急性発症Ⅰ型糖尿病」と診断されました。詳しくは歌舞伎ジャーナル 第107号「歌舞伎症候群の治療を小児科専門医だけに任せてはなりません」 を参照してください。

最後に同じ特別支援学校を卒業した仲間が5人います。
昨年12月の「成人を祝う会」の情報交換で判明しました。
もう1人5月に重病にかかった人がいました。
主人公が特別であったわけではありません。

大縣神社の豊年祭 [主人公の供養]

次の日曜日の3月12日が豊年祭です。
平成28年(2016年)は父は当番で、裃を着て「神幸行列」に加わりました。
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この神社は「産土神(うぶすなかみ)」。主人公も初宮参り、初詣、七五三参りもこの神社で行いました。
宗教的なことを除いて、里山ウォーキングのメインフィールドとしても親しみました。
産土神は死後までも守護する神として崇められています。
祭神は大縣大神(おおあがたのおおかみ)。
摂社の「姫之宮」玉比売命(たまひめのみこと)を祀り、女性の守護神と称えられています。
豊年祭は「姫之宮」のお祭で、五穀豊穣、子孫繁栄などを願うものです。

(テーマ大縣神社の『豊年祭』) ほとんどのビデオに露店が映ってます。
2006年3月12日 9歳 身長はすでに妹に抜かれています
2008年3月9日 11歳
  このときの写真がkabuki Brochure(歌舞伎症候群概要)に使われています
2009年3月15日 12歳 社殿「尾張造り」は国の重要文化財に指定
2010年3月14日 13歳 棟方志功デザインの絵馬が見もの。暖かった
2011年3月12日 14歳 東日本大震災直後で父は祭どころではなかった
2012年3月11日 15歳 震災から1年。復興への願いは強い
2013年3月10日 16歳 梅まつりの「枝垂れ梅」が見事。それにしても寒い!!
2014年3月9日 17歳 伯父さんが裃を着て行列に参加
2015年3月15日 18歳 「元気いっぱい」でした

3月3日は「ひな祭り」 [主人公の供養]

2月12日付けのブログで「ひな人形を飾りました」を投稿しました。
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<今日のひな人形。素材にこだわった祖母の手作り菱餅が飾られています>
3月3日が「ひな祭り」の本番。少し、振り返ってみることにします。
※父の仕事上、前倒しにしたこともあります。
(テーマ3月3日 ひなまつり)
2006年 9歳 姉妹で紹介
2007年 10歳 菱餅と記念撮影
2008年 11歳 ひな人形の前でも「首を振ります」
2009年 12歳 曾祖母と一緒
2010年 13歳 「ブログ考古楽」のルーツはここから
2011年 14歳 「15回目のお飾り」で一区切りしたい宣言
2012年 15歳 ひな人形のない「ひなまつり」
2013年 16歳 この年は「ひなまつり」なし・・・寂しい
2014年 17歳 「ひなまつり」のごちそう紹介
18歳 最後のひな祭り(無念)
今年も3月3日に2月12日に飾ったひな人形を仕舞います。
しばらくは眠っていてください。そして来年の2月に会いましょう。
その時は三人官女も一緒に

卒業式(保育園、小学校、中学校、特別支援学校高等部) [主人公の供養]

まもなく「弥生三月です」。卒業式シーズンです。
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    <小学校卒業式後の「三輪車パフォーマンス」>
保育園は未満児(1歳)から始まりました。障害児と認定されたのは入園以降。
障害児保育は別に園を決めて既に実施していましたが、一般の保育園での未満児の障害児保育は初めての経験でした。
小学校は当時まだ「特殊学級」と呼ばれていました。
「保育園から間違えてきちゃった」と微笑ましく言われたものでした。
入学条件は「通学は家族が行うこと」。以降12年間家族が行いました。特に高等部の3年間は皆勤でした。
※義務教育は選択肢として養護学校(現:特別支援学校)や「義務教育の免除」がありましたが、(県・市)教育委員会と協議の結果、地元の小学校に通うことになりました。
中学校以降は「障害」に対する世間の認識も変わり、父が誰と戦うこともなく、スムーズに進みました。
よく「権利と義務」ということが言われます。両方とも実施してきたと思います。
(テーマ卒業)
2003年3月28日 保育園卒園アルバムから
2009年3月19日 小学校 式の後、三輪車でのパフォーマンス
2012年3月 8日 中学校 同学年はみんな優しい。これは成人式にも現れる
2015年3月11日 高等部 母親が撮影した写真で綴ります。
2015年6月 4日 人生の卒業式 ・・・


特別支援学校高等部の卒業式の準備 [主人公の供養]

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<卒業生を送る会にて 曲名:ビリーブ 頭はボッサボサ→先生からクレーム>
まもなく卒業式のシーズンです。2年前を振り返ります。
学校にとって卒業式は大きなイベントの1つ。
当然気合が入ります。
準備の段階からモチベーションを上げ、ゴールが卒業式となるように階段を一歩ずつ上がっていきます。
そんな様子をとらえました。
2015年2月25日 小学校訪問 今までのお礼に行きました
2015年3月 5日 卒業式まで1週間 卒業という言葉はタブー
2015年3月 6日 卒業生を送る会 手作りの良さが…
2015年3月 7日 理容店へ マスターも気合が入る
2015年3月10日 明日は卒業式 学校生活最後の給食
2015年3月11日 卒業式 父は仕事の都合で出席できませんでした。

飼い犬14回目の誕生日 [主人公の供養]

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我が家に来た時の記念写真(2003年4月18日)
このブログで飼い犬のダイジェストを著しています。
成長の記録を確認してください。
来た理由は、主人公の障害を少しでも軽減するため。
篤志家よりプレゼントされました。
爾来12年間、主人公を「ご主人さま」とあがめてきました。
具体的には、主人公が布団に入る30分前には布団を体温で温めるなど、まるで豊臣秀吉の如きでした。
主人公が他界後は体調に変調をきたしました。
当方も一緒に逝ってしまわないかと本当に心配もしました。
現在は高齢にもかかわらず、元気に振る舞っています。
しかし、準備はしなければなりません。
  <2013年2月24日 10回目の誕生日の特別な「おやつ」 ハッピバースディを歌います>

参考 本人の11回目の誕生日ケーキ

卒業式前のとこやさん [主人公の供養]

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  <2015年3月7日 最後の床屋さん>
髪を切るときは父と一緒に床屋さんに通いました。
父は中学生から通い「おなじみさん」です。
マスターと話した中で主人公は「3本の指に入る」カットしがいのあるお客さんだったそうです。
中には、シャンプーをする洗面台の下に入り込み、「出すのに一苦労した」ということもうかがいました。
想像するに、多分その子は自閉傾向の子ではなかったでしょうか。

Youtubeにはたくさんの動画を投稿しています。
その中で視聴回数が多いのが、医療、教育です。
次に多いのがなんと「理容」です。
特に夏場は髪を清潔に保つ必要があり、冬に比べお店に行く頻度は高かったです。
卒業式も他のお子さんたちの迷惑にならない様にキチンと身だしなみを整えました。
(テーマ卒業式前の「とこやさん」)
特別支援学校高等部 牡丹の成長と対比
中学校 この時は久しぶりに「暴れました」
マスター夫妻もずいぶん年を取りました。

ひな人形を飾りました [主人公の供養]

2017年2月5日付けブログにて「ひな人形を飾る」をテーマで、過去の投稿などを紹介しました。
結局、また今日、ひな人形を飾りました。父はひな人形が好きです。
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  <上段 : 主人公の物 下段 : 妹の物>
今年は超簡便方式です(主人公の物のみ)。
お道具などを一つ一つ飾るのは大変です。
主人公さん!!これで許してください。

ひな祭人形を出しました [主人公の供養]

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   2014年2月20日 17歳
立春を過ぎ、ひな人形を出してもよい時期になりました。
昔から「2月の風にあてよ」と言われています。
我が家にはひな人形が2セットあります。
主人公と妹の分です。
人形屋さんに言わせると「ひな人形を飾るのは16歳まで。それ以降は市松人形を飾るべし」とのこと。
残念ながら我が家には市松人形は準備してありません。
詳細はで確認していただきたいのですが、立春早々に飾っているわけではなく、怠けています。
理屈を並べて飾らなかった年もあります。

(テーマ)
2015年2月21日 高3 妹の「木目込人形」だけ飾りました
2014年2月20日 高2 やっぱり出す 飾ってよかった
2011年2月18日 中2 15回目でこれが最後と決めました 犬山祭の車山あり
2010年2月13日 中1 大安吉日 ビデオは飾るプロセスの記録
2009年2月28日 小6 祖母のひな人形と比較 昭和20年代「寝殿造り(御殿飾り?)」
2007年2月18日 小4 11回目 父のボヤキ
2006年2月26日 小3 10回目 プロバイダーが写真消去

もうすぐ「節分」 [主人公の供養]

   (生前最後の豆まき)
父は農家出身のため、昔からの習わしはなるべくこまめにしてきました。
節分は「立春」の前日に当たります。古い言い方をすると「大つごもり」。
宮廷儀式では「追儺」です。
邪気除けにヒイラギやイワシの頭を用います。「鰯の頭も信心から」のルーツはここから。
また、鬼を追い払うために「豆まき」をします。
例年この後に「立春寒波」が来ます。ご自愛ください。
(テーマ 節分 )
平成27年 18歳高等部3年 邪気除けの材料紹介 
平成26年 17歳高等部2年 豆まきのビデオ 
平成23年 14歳中学2年 ビデオ視聴不可 
平成22年 13歳中学1年 イワシの頭を切るところから始まります 
平成21年 12歳小学6年 ビデオ視聴不可 
平成20年 11歳小学5年


今度は市の『新成人の集い』に写真で参加しました [主人公の供養]

昨年の12月3日のブログ特別支援学校卒業生の成人式 でも書かさせていただきましたが、もとより、写真だけでも参加させていただけるとは思ってもいませんでした。続いて、市の『新成人の集い』にも。

わが市では新成人が実行委員会形式で自ら成人式を開催しています。
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緑の枠内を拡大すると
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昨年の暮れ、中3の時の担任から1本の電話がありました。
用件は「3年1組の仲良し3人から成人式に写真で参加してほしいと依頼がありました。
 思われるところは色々あると思うが彼女たちの希望をかなえてほしい」でした。

オリジナルの写真は広報紙でも使われています。

これも教育のなせる業だと思います。
これらの積み重ねが「日本を優しい国に導く」と確信しました。
(テーマ成人の日)
2014年1月13日 高2 17歳の成人の日 将来の予言?
2010年1月11日 中1 犬と散歩&回転寿司
実行委員から後日改めて当日の写真データをくださるそうです。
許可をいただいたのち、ご披露したいと思います。

特別支援学校高等部への入試まであと1ヶ月 [主人公の供養]

高等部への入学試験を控えた方にとって大変心配なことだと思います。
また、すでに経験された方には良い思い出だと思料します。
5年前ですが、我が家のことを書きます。
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(入試勉強への拒絶反応)
今まで「試験」には全く無縁でした。
しかし、まったく勉強しないということは新しい学校に失礼である。
高校入試の前夜、約5分間勉強しました。
内容は、自分の名前をいうこと。
そして、硬貨の額をいうこと。
入学試験は面接のみでした。
(テーマ特別支援学校高等部入学試験)
2012年2月21日 最初で最後の入試勉強 本当の「一夜漬け」
2012年2月22日 今日は高校入試

2012年1月02日 大縣神社で合格祈願 おみくじは「大吉」(神頼み)

1月7日でYoutube登録10ケ年が経過しました [主人公の供養]

日頃より当ブログやYoutubeをご視聴いただき厚くお礼申し上げます。
Youtubeは2007年1月7日に登録し、10年が経過しました。
おかげをもちまして、この間のページビューは今までに2,239,366回を数えました。
記念すべき第1作は次のビデオです。これから始めて400回以上の投稿ができました。

説明欄:歌舞伎症候群の「こだわりの行動」 
「水たまり」や「犬のおしっこ」などが路上にあると必ずその上で足踏みをします。
・・・この癖は他界するまで続きました。

私がしてきたことが今までにどれだけ役に立ったかはわかりません。
願いはこのビデオを通して障害児の行動を理解していただき、障害児・者に偏見のない世の中を構築することです。

2016年の年間ページ視聴資料
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いつまでも右肩上がりが続くとは到底思っていません。しかし、頑張ります!
2015年の年間ページ視聴資料
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(テーマYoutube)
2016年9月06日 ビデオ人気ベスト5を発表から約1年1カ月が経過
2016年9月10日 ビデオの視聴傾向について
2015年8月05日 Youtube視聴回数ベスト5から解かる、求められる情報の傾向
この2年間での数値の増加は障害児・者への関心の高まりへの結果と信じています。
特に熊本地震発災1ヶ月後に「報道ステーション」で熊本市民病院の歌舞伎症候群患者のことが報道された後、関心が高まりました。
東日本大震災は被害の規模があまりにも大きく、障害者の報道の優先順位が下がってしまいました。

書初め(短期集中連載Ⅷ 最終回) [主人公の供養]

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(2015年 かんしゃ と かいきん 後者は3年間すべて達成)
我が家の「書初め」の目的
 その年の目的や願いを書くことにより1年のモチベーションを高める。
(テーマ書初め)
2015年『かんしゃ(感謝)』と『かいきん(皆勤)』高等部3年皆様へのお礼
2014年『しゅう中』高等部2年課題克服のため
2013年『みどし』高等部1年干支を書く
2012年『ありがとう』中学3年間のお礼の気持ちをこめて
2011年『山のぼり』ドクターと減量の約束により 中学2年
2010年『けんこう』と『うんどう』『家族の願いをこめて 中学1年
2009年『きぼう』と『ひかり』冬休みの日誌のテーマに合せて 小学6年
2008年『ぞうに』 小学5年
2007年『こま』 小学4年
2006年『ぞうに』 小学3年

これにて年末年始のイベントダイジェストを終了します。
イベントの多くが地域の伝統や風習に長い間受け継がれてきたものです。
Ⅰ 冬至
Ⅱ クリスマス ~10年間の記録~
Ⅲ 大掃除
Ⅳ 年末の居場所探し
Ⅴ 餅つき
Ⅵ 年越しそば
Ⅶ 初詣
Ⅷ 書初め
みなさま、お付き合いいただき本当にありがとうございました。
知的障害児と地域の有り様について少しでもご理解いただいたものと思っています。

次は「成人式」についてお知らせしようと思います。

初詣(短期集中連載Ⅶ) [主人公の供養]

皆さんあけましておめでとうございます。
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   (2015年大縣神社初詣の折り)
今年も楽しい記事掲載を目指していますので、当ブログをよろしくお願いします。
皆様にとってもすばらしい1年になりますように!
(テーマ元 旦)
自宅から歩いて行ける範囲の神社が2社あります。
1つは「諸鍬神社(もろくわじんじゃ)」
もう1つは「大縣神社(おおあがたじんじゃ)」です。
2015年(平成27年)18歳 高校3年 天気:雪のち晴れ
2014年(平成26年)17歳 高校2年 天気:雨のち晴れ
2013年(平成25年)16歳 高校1年 天気:晴れ
2012年(平成24年)15歳 中学3年 天気:晴れ 強風
2011年(平成23年)14歳 中学2年 天気:雪
2010年(平成22年)13歳 中学1年 天気:雪
2009年(平成21年)12歳 小学6年 天気:晴れ
2008年(平成20年)11歳 小学5年 天気:雪のち晴れ
2007年(平成19年)10歳 小学4年 天気:晴れ
2006年(平成18年)9歳 小学3年 天気:晴れ

※衣装の変化に注目。ほとんど変わっていません。
※平成27年(最後のお正月)は何かを予言していました。
参考 2016年のお正月 悲しみの極みでした

年越しそば(短期集中連載Ⅵ) [主人公の供養]

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そもそも当地には大みそかに「年越しそば」をいただく習慣は一般的ではなかったと思います。
その代り「大みそか」と「節分」の夜には豆腐、昆布や牛蒡などを煮た料理が出ました。
その理由の1つに愛知県尾張地方は「そば」文化が根付いていないことを想像します。
(尾張藩は全国唯一「百姓一揆」が起らなかったそうです。こんなことも理由の1つになるかもしれません。
 昨日、餅のことを書きましたが、当地の雑煮は餅+小松菜だけで、餅本来の味を楽しむことができます。従って「雑煮」の表現が適正かどうか分かりません)
名古屋は「きしめん」で有名ですが、「きしめん」もほとんど食べたことがありません。
しいて言うなら「うどん」です。
それはさておき、知らぬ間に東京からの情報とともに、大みそかに「そば」をいただく習慣が定着しました。
(テーマ年越しそば)
2014年 高3 本格的に鴨もネギも炭で焼く 2015年の抱負も…無念
2012年 高1 高等部入学後「はし」の練習 成果が出ました
2011年 中3 「鴨南蛮そば」の理由

餅つき(短期集中連載Ⅴ) [主人公の供養]

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(あんころ餅&きなこ餅)

毎年12月30日はFamily揃って「餅つき」をする。
これは昔から続く習わしです。
29日は「ふく」で縁起がよさそうですが、「く」は「苦持ち」に繋がるそうでダメとのこと。
父は学生時代に地元の米屋でバイトをしていた関係で、搗きあがったお餅を丸めるのは得意中の得意。
大きなものから小さなものまで鏡餅は任せられてました。
(テーマ餅つき)
2014年 高3 主人公も鏡餅に参加 餅つきの全体が分かります
2013年 高2 鏡餅を白玉団子と勘違い?
2011年 中3 東日本大震災復興への願いを込めて コメは不作
2010年 中2 「あんころ餅」と「黄な粉餅」 どちらがウマい??
2009年 中1 この年のコメの品質は想像以上に良かった
2008年 小6 暖冬でした
2007年 小5 一臼は二升五合
2006年 小4 餅つきより"Wii"
2005年 小3 ばあ~さんはバーゲンセールの如く老人の知恵を出す

年末の居場所探し(短期集中連載Ⅳ) [主人公の供養]

毎年毎年「居場所」探しに苦労しました。
ある時はスーパーの食品売り場で、その年の経済状況にウンチクを並べ。
またある時はホムセンのDIYコーナーで新商品を見入っていました。
居場所を探し求めている間に母親は一生懸命家の掃除にいそしんでいました。
これらは懐かしい話です。
(テーマ年末の居場所探し)
2014年 18歳 冬休み中に表彰状をいただきました
2013年 17歳 スーパーの食品コーナー
2012年 16歳 冬休み初日
2012年 16歳 大縣神社の迎春準備も整っていました
2010年 14歳 整形外科医の指示である「ウォーキング」のノルマ
2009年 13歳 ビデオは障害児を抱える家族の問題点を浮き彫りに

大掃除(短期集中連載Ⅲ) [主人公の供養]

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大掃除をしたのは後にも先にも18歳時のこの1回だけ。
掃除より優先させるべきことは、主人公の生活パターンを乱さないこと。
そのために外出し、居場所確保に苦労しました。

オマケ
前回のブログで「サンタ追跡」のことをやかましく書きました。
24日23:00過ぎのwebをアナログで録画しました。
NORAD サンタ追跡 ~日本上空編~ 

クリスマス ~10年間の記録~(短期集中連載Ⅱ) [主人公の供養]


去年、一昨年とサンタさんが日本上空通過は23:00(日本時間)過ぎでした。
(テーマクリスマス)
2014年12月24日 高3 NORAD(サンタ追跡トラック) とデイサービスでの作品紹介
2013年12月24日 高2 クリスマスソング歌いまくり とブッシュドノエル
2012年12月23日 高1 名古屋へお出かけ ウォークマンがデジカメに化ける?
2011年12月23日 中3 パソコンのモニターがプレゼント "Snow Mann"購入
2010年12月24日 中2 宇宙からクリスマスカード 衛星「きずな」より
2009年12月24日 中1 妹がお菓子を作ってくれました カップケーキです
2008年12月14日 小6 ハッチー・ファンの集い ポーラー・エクスプレス
2007年12月24日 小5 冬休みの日誌 12/25はクリスマスバージョン
2006年12月24日 小4 入浴剤をクリスマス用にブレンド
2005年12月23日 小3 ホワイトクリスマス

年末年始それぞれの行事の記録をまとめました・・・冬至(短期集中連載Ⅰ) [主人公の供養]

まず、今日は「冬至」です。
わが地方の風習は、
冬至かぼちゃを夕食にいただき、「ゆず湯」に入って風邪をひかない様に念じました。
それでもインフルエンザに罹ったことがあります。

(テーマ冬至)
2013年12月22日 高2 田んぼの中でパノラマ撮影
2011年12月22日 中3 冬至かぼちゃ、ゆず湯、そして冬休み
2009年12月22日 中1 "Merry Christmas"と言っています

レントゲン写真 & MRI をカラーに変換すると [主人公の供養]

2016年12月12日の当ブログ昭和33年頃の父の写真 で、白黒写真をAIのテクノロジーを用いてカラー写真化にすることが話題になっていることをご紹介しました。
白黒写真がカラーにできるなら、レントゲン写真やMRIもできるだろうと思い以下の通り実施しました。
最初にレントゲン写真
「歯科」…上段右のいわゆる「糸切り歯」が欠歯
オリジナル
x-ray(teeth).JPG


カラーに変換
歯科01.png

「脊柱側弯症」
写真は体の後ろから撮影したもので、右側の写真はブレース(コルセット)を装着してのものです。

オリジナル
SANY0282.JPG


カラーに変換
01脊柱.png

次に MRI
「滲出性中耳炎の手術痕」…保育園から他界するまで通院しました
オリジナル…右側に膿が溜まっているのがわかります。


カラーに変換
中耳炎01.png

「脊柱側弯症」
オリジナル
mri脊柱.jpg
カラーに変換
脊柱01.png

専門家でないため、何とも言えません。閲覧していただいた方ご自身で判断してください。

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