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父の趣味は米国のでっかい蒸気機関車の模型 [その他]

最近やっと自分の時間を意識できるようになりました。
というわけで趣味を紹介します。

かつて我が国は外貨を得るために国内で真鍮製の鉄道模型を作り米国へ輸出しました。
そのため日本国民は残念ながら購入できなかったそうです。
これが1950年代~70年代まで続きました。
あるメーカーは国から表彰状をいただいたと聞いています。
また残念ながら消滅してしまったメーカーもあります。

米国では我々が想像できないほどのコレクターがいます。
そんなコレクターもリーマンショックには耐え切れず、大量にマーケットに放出されました。
リーマンショック後は円高ドル安。私でもネットオークションでmade in Japanをいくつか購入できました。
ビッグボーイ、キャブフォワードをはじめとして、でっかいもののいくつかを紹介します。


航空自衛隊岐阜基地・・・遊びに出かけました02 [遊びに出掛けました]

2011年は東日本大震災の年でした。
そして、多くの人が自衛隊の活動に感謝しました。
我が家も例外ではありませんでした。
2011年7月にはヘリコプターを岐阜基地で見学できる機会があり見に行きました。
ヘリコプターの機種は"CH47"別名「チヌーク」。
福島の原発に海水をかけたのと同機種です。
このヘリコプターの離陸には滑走が必要でした(ビックリ)。
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併設の公園には昔活躍した飛行機もありました。
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この年の秋の航空祭にも出かけました。
特筆すべきことは障害者対策です。具体的には
・専用の駐車場が滑走路のエプロンに設けられ、隣接した場所で専用の見学エリアがあること。
・看護師資格の自衛官と思しき方が常に目配せしていただいていること。
・専用のトイレが多数設けられていること。
利用方法は事前に往復はがきで申し込むことでした。
自衛隊の優しさが垣間見えました。
その時撮影した「ブルーインパルス」は下の通り。


最近報道されましたが、新型国産ステルス実証機「ATD-X」の試験飛行が3月から岐阜基地でされるそうです。
本来であれば去年の今頃に初飛行が計画されており、飛行機がよく見える場所へ2人で出かけ見物しようと計画していましたが、かなわず残念です。
※航空自衛隊岐阜基地・・・現存最古の飛行場(各務原飛行場)を持つ

また、今日のニュースでは「零戦里帰りプロジェクト」
里帰りした零戦、73年ぶりに日本の空でフライト実現 鹿屋基地でテスト飛行に成功 と報じていました。

ゼロ戦のニュースのついでに
主人公の祖母(昭和7年生れ)の戦時中の話として
ゼロ戦は名古屋市の三菱大江工場で製造され、牛車で名犬国道を使って各務原飛行場まで運びテストをした。
その運ぶ様子をみんなで犬山まで見物に行き、見送ったとのこと。

Only one か One of them か? [学校行事など]

何のことかというと、今までの経験から「普通学校の特別支援学級」か「特別支援学校」どちらを選択するかです。
我が家の場合、小中学校は特別支援学級に就学し高校は特別支援学校に就学しました。
特別支援学級時代にはほとんど同学年の方はいませんでした。だから「 Only one」。教員と児童(生徒)全体に支援していただきました。ただしこれは少子化が云々される前のこと。
最近のデータを見ると特別支援学級に通級する児童(生徒)が増加傾向とのこと。
少子化とはいえ、歌舞伎ジャーナル 第68号 でも書いたように統計上の確率は変わらないはずなので、少子化に伴い知的障害者の総数は減少するはずですが、増加傾向とは矛盾が生じています。
今回はこの原因を探ることが目的ではなく、「 Only one」は大勢の普通の人に支えていただけるということです。
「One of them」は特別支援学校への就学です。
スタッフは専門集団です。どんなときにも間違いがありません。
前述のように我が県では「特別支援学校」不足と言われて久しい。なかなか根本解決に至らないと思いますが、知恵を絞って少しずつ前進しているようです。

特別支援学級の支援の例


特別支援学校の例 スタッフの熱意と労力は想像以上

「普通学校の特別支援学級」か「特別支援学校」どちらを選択するか。
正解はありません。決めたところのルールに従うことです。
不平・不満は禁物です。

犬山祭・・・遊びに出かけました01 [遊びに出掛けました]

人並みにいろいろ経験させてやろうという思いでテーマパークなどへ出かけました。
しばらくはこのテーマで書こうと思います。
1回目はテーマパークではありませんが、地元のお祭り「犬山祭」をとりあげます。
「犬山祭」は今年の秋ユネスコ無形文化遺産登録を目指しています。
資料が残っている順番に紹介します。
2006年4月1日 9歳 小学4年 この年、重要無形民族文化財に指定されました。
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2008年4月5日 11歳 小学6年生
名栗町の車山   ・   露店の前
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枝町の車山 まだ城下町の電線類地中化工事が始まっていません

2009年4月4日 12歳 中学1年(入学式直前) 前日にどこかの国がロケット打ち上げ
桜が満開 手小さんに肩車された「金襦袢」も映っています。

2010年4月3日 13歳 中学2年 前日に転んで顎を擦りむいたところが痛々しい。
強風下(城前広場)でのからくり披露 後半は物産展

2011年4月2日 14歳 中学3年 東日本大震災直後の自粛ムードの中。
この祭のルーツの1つに城下町の災害復興 「金襦袢」「水引幕」が見事

2012年4月7日 15歳 高等部1年 特別支援学校入学前 雪も舞いました
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2013年4月6日 16歳 高等部2年 爆弾低気圧来襲!! 雨の合間を縫って
2015年4月5日 18歳 作業所に通い始めたばかり 夜車山の「どんでん」 花冷えで寒かった

デイサービス・・・特別支援学校メモリーズ19 [福祉サービス]

高等部入学を機にいわゆる「デイサービス」を利用することになりました。
中学生までは利用しませんでした。その理由は障害者福祉制度の過渡期であり、デイサービスは一般的でなかったこととサービス利用の必要性を感じていなかった。
障害者福祉も「障害者自立支援法」から「障害者総合支援法」(2013.04.01施行)に改正され、利用しやすくなったのは事実です。
中学卒業~高校入学まで約1ヶ月間(2013年3月~4月)。このたった1ヶ月間でさえ、「居場所」確保に困っていましたから利用させていただき感謝しています。

法的位置づけ:障害者総合支援法 第77条 市町村の地域生活支援事業
目的:学校通学中の障害児が、放課後や夏休み等の長期休暇中において、生活能力向上のための訓練等を継続的に提供することにより、学校教育と相まって障害児の自立を促進するとともに、放課後等の居場所づくり。
サービス内容:
・自立した日常生活を営むために必要な訓練
・創作的活動、作業活動
・地域交流の機会の提供
・余暇の提供
※本人が混乱しないよう学校と放課後等デイサービスのサービスの一貫性に配慮しながら学校との連携・協働による支援。
実際の利用サービスは
①平時:「児童デイサービス(放課後等デイサービス)」
②夏休み等の学校地が長期休業:「日中一時支援」+「児童デイサービス」
サービス量・・・行政には希望を100%かなえていただきました。
①学校終了時の15:00にサービス事業所が学校に車で出迎えます。
 17:00にデイサービスが終了し、家人が事業所へ出迎える。
 利用量は3回/週(火・水・木) 限度:23日/月  ↓学校での出迎え
 

②9:00-13:00 日中一時支援   13:00-17:00 放課後デイサービス を利用していました。
  8月は「夏休み」という特殊事情があるため、福祉サービス利用限度を通常月 7日/月から12日/月に増やしていただいています。
  なお、「日中一時支援」と「放課後デイサービス」は同一の事業所です。

デイサービスで作った作品を動画で紹介します。
 2013年1月(16歳・高1)
『誰が作ったの?』という問いかけに対して『へび』と答えています。
 2013年2月(16歳・高1)  ボランティアさんから貰った物。「小物入れ」だそうですが、本人曰く「もみじ」
 2013年10月(17歳・高2)  小道具はデイで作成。自宅できゃりーぱみゅぱみゅの「ponponpon」を再現しました。    2014年12月(18歳・高3)  クリスマス用に作った「状差し」 その他 歌舞伎ジャーナル第108号 の中断から下に「デイサービスのお祭り」を記載しています。

皆勤賞+α・・・特別支援学校メモリーズ18 [学校行事など]

皆勤賞は目指して「取る」ものではなく、結果としてついてくるものです。
高等部1年の時は結果としてついてきました。
しかし、人間は「欲」の塊。
1年目が達成できれば2年目。2年目もできれば3年目。だんだん欲深くなります。
結果、3年間達成しました。

高等部1年
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高等部2年
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高等部3年
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普通学校の生徒でも3年間皆勤は困難ですが、特別支援学校ではもっと困難でこれはギネス物です。

+αは表彰状 このことがあってか、3年生の時には県から表彰状もいただきました。

受賞事由は皆勤だけではなく「明るく積極的な態度」が評価されたものと保護者は勝手に思っています­。

表彰状の授与者はかつて愛知県コロニー中央病院の「整形外科」で診ていただいた医師でした。
医師も受賞を喜んでいただき、式典終了後、記念写真に一緒に納まっていただきました。
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こういう時の医師の気持ちはわかりませんが、いずれにしてもとても温かみのある表彰式でした。

友人たちが気晴らしにとスキーに誘ってくれました [その他]

本当の目的は「車」と「運転手」のあてにされただけ。
金曜日夜発、日曜日深夜帰着の1.5泊のスキー行。
行先は長野県白馬村。ここを根城にして、八方または岩岳あたりでスキー。
しかし、今年は自分の経験によると「昭和50年代に1度だけ経験」の雪不足。
全面滑走可はスノーマシンが効果的だった「白馬47」のみ。
この混雑はバブル期に経験して以来でした。

撮影者は私であるため、ビデオには映っていません。

山はきれいですが、里にはほとんど雪がありません。
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歌舞伎ジャーナル第108号を更新しました [歌舞伎ジャーナル]

ココ!! からどうぞ。
内容は「特別支援学校高等部3年間をふりかえって」です。
今回で108号。煩悩の数と同じです。
時間のある時に、ぜひパソコンで見てください。

主人公は18歳9カ月でこの世を駆け足で走り去りました。
あたかも一生を歌舞伎症候群の原因究明や対処方法の進歩にささげたようだと思っています。
太く短い生涯でしたが一人でも多くの同じ病気で悩んでいる家族の助けになればと願っています。

「歌舞伎症候群」と診断されたとき、この病気は稀有で研究者も限られていました。ところが現在、アメリカの医学生は授業で勉強されるそうです。責任遺伝子が特定されるとこうなる。

なんとも寂しいお正月 [家庭でのできごと]

まず、旧年中は多くの方々にブログを閲覧していただきありがとうございました。
主人公が逝去の折りには数々の心温かいお言葉をいただき、当方も慰められました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年の暮れは、掃除等で心もまぎれましたが、新しい年を迎えても特に何もすることがなく残念しごくです。
今まであれば、元日は初詣に近所の諸鍬(もろくわ)神社と坂道を登り大縣(おおあがた)神社へお参りし、その後は母の実家に年始のご挨拶をし、お年玉をいただいたものです。特に神社では顔見知りの方々と新年の言祝ぎをし、人気者の近況を確認していただきました。
2日は、父の実家に年始の挨拶をし、同様にお年玉をいただきました。その後は初売りに赴き、何を買うか思案しました。自宅に戻ってからは「書初め」をし、新年を実感しました。

今年は喪中であるため、元日の初詣もかなわず、また、2日の初売りも行くことは行きましたが…
今までのように「フードコート」で食べ物を巡って泣くこともなく、パソコンコーナーで手あたり次第パソコンをシャットダウンすることもありませんでした。周りに迷惑をかけ、親が謝ることも親の役目であり、楽しみでもありました。

参考までに小学3年生から高等部3年までのブログは次の通りです。
(※プロバイダーの都合で小学4年生までは写真が表示されません)
 元日 初詣を中心
1月2日 書初めが中心

ちなみに下の写真は昨年の大縣神社のおみくじを引いたところ。雪が舞い始めた
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それにしても今年の正月は暖かい。
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