そろそろ潮時か・・・ [主人公の供養]
主人公が天国へ出かけたまま、帰ってこなくなって2年半が経過しました。
以来、口にできなかったものが2つありました。
①カレーライス
最後の晩餐がカレーライスでした。ほんのちょっとの量でしたが、1時間かけて1粒1粒主人公の口に運びました。
その翌日、集中治療室に移りました。
何かの席でカレーが出されても涙があふれ、出していただいた方にご迷惑をかけました。
②アルコール
元々あまり好きではありませんでした。主人公が入院後、断っていました。
忘年会の折りにも誰もアルコールを勧めませんでした。
今年2月3月の父の定年退職の送別会も丁重にお断りしました。
最近は①も②もいただけるようになりました。
また、カナダ在住で長い間歌舞伎症候群のホームページの編集に携わっていただいたMさんも末期がんとなり、一線を退かれました。
このブログも、いよいよ潮時を迎えました。
お墓に行き、石塔の前 で主人公と相談しました。
「もういい~かい」の問い掛けに、主人公も「いいよ~」と告げてくれました。
主人公の分身のこのブログを辞めることが物を書くことが大好きな父に耐えられるかどうか分りませんが、一旦終了とさせていただきます。
15年間の長きにわたり、ホームページ、ブログを閲覧していただき皆様本当にありがとうございました。
ホームページ、ブログはそのままとし、Youtubeは未公開のビデオもたくさんあるため時折更新予定です。
従って過去の記事の検索は利用できます。
何かニュースがあった時はまた顔を出します。
歌舞伎症候群の未来は明るいと確信しています。
Rainbow Kids Documentary 私の気持ちはこのビデオの7:50から。
これが主人公の人生最後の1枚です(一般病棟にて)。
以来、口にできなかったものが2つありました。
①カレーライス
最後の晩餐がカレーライスでした。ほんのちょっとの量でしたが、1時間かけて1粒1粒主人公の口に運びました。
その翌日、集中治療室に移りました。
何かの席でカレーが出されても涙があふれ、出していただいた方にご迷惑をかけました。
②アルコール
元々あまり好きではありませんでした。主人公が入院後、断っていました。
忘年会の折りにも誰もアルコールを勧めませんでした。
今年2月3月の父の定年退職の送別会も丁重にお断りしました。
最近は①も②もいただけるようになりました。
また、カナダ在住で長い間歌舞伎症候群のホームページの編集に携わっていただいたMさんも末期がんとなり、一線を退かれました。
このブログも、いよいよ潮時を迎えました。
お墓に行き、石塔の前 で主人公と相談しました。
「もういい~かい」の問い掛けに、主人公も「いいよ~」と告げてくれました。
主人公の分身のこのブログを辞めることが物を書くことが大好きな父に耐えられるかどうか分りませんが、一旦終了とさせていただきます。
15年間の長きにわたり、ホームページ、ブログを閲覧していただき皆様本当にありがとうございました。
ホームページ、ブログはそのままとし、Youtubeは未公開のビデオもたくさんあるため時折更新予定です。
従って過去の記事の検索は利用できます。
何かニュースがあった時はまた顔を出します。
歌舞伎症候群の未来は明るいと確信しています。
Rainbow Kids Documentary 私の気持ちはこのビデオの7:50から。
これが主人公の人生最後の1枚です(一般病棟にて)。
2017-12-09 16:26
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姉妹について [家庭でのできごと]
長い間このことを書こうと思っていました。
非常に重いテーマのため逡巡していました。
おかれた状況
主人公には2学年下に妹がいました。
保育園から中学校卒業まで同じ道を歩みました。
最も心配していたことは、主人公が原因で妹がいじめなどに遭うことでした。
このことは、「権利と義務」の範囲内で、学校側にも細心の注意を払うよう要望しましたし、学校側も当然のこととして受け止めていただきました。
もし「有った」のであれば、教育の敗北を意味します(学校も同意見)。
結果として「有った」のか「無かった」のかわかりません。
疑わしいものはありました。
何故疑わしいかは、妹が話さず、客観的な証拠がなかったから。
保護者として具体的に妹に「姉妹関係」に指示したことは有りません。
日常の中で「自分の気づき」で対処すべきで、「危険なサイン」を把握したら動くつもりでした。
17年間一緒に育ったこともあり、何でも自分で解決する子に育ちました。
逝去してからお葬式が終わるまでは大変でした。
これは家族だけでなく、ご弔問を頂いたすべての方々も同様でした。
掛ける言葉なぞ存在しません。
誰もが高2の妹が自分で解決するものと感じていました。
見事にやってのけました。
非常に重いテーマのため逡巡していました。
おかれた状況
主人公には2学年下に妹がいました。
保育園から中学校卒業まで同じ道を歩みました。
最も心配していたことは、主人公が原因で妹がいじめなどに遭うことでした。
このことは、「権利と義務」の範囲内で、学校側にも細心の注意を払うよう要望しましたし、学校側も当然のこととして受け止めていただきました。
もし「有った」のであれば、教育の敗北を意味します(学校も同意見)。
結果として「有った」のか「無かった」のかわかりません。
疑わしいものはありました。
何故疑わしいかは、妹が話さず、客観的な証拠がなかったから。
保護者として具体的に妹に「姉妹関係」に指示したことは有りません。
日常の中で「自分の気づき」で対処すべきで、「危険なサイン」を把握したら動くつもりでした。
17年間一緒に育ったこともあり、何でも自分で解決する子に育ちました。
逝去してからお葬式が終わるまでは大変でした。
これは家族だけでなく、ご弔問を頂いたすべての方々も同様でした。
掛ける言葉なぞ存在しません。
誰もが高2の妹が自分で解決するものと感じていました。
見事にやってのけました。
2017-12-06 20:39
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今日の地元紙記事より…中学生の人権に関する作文 [その他]
2017-12-03 16:14
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