わが子の入院前から永眠までの経過(ごく一部) 歌舞伎ジャーナル第106号 [歌舞伎ジャーナル]
<概要>
18歳 女 療育手帳;A判定 障害支援区分:4
3月に特別支援学校高等部を卒業。
4月から生活介護事業所へ通所し、ゴムのバリ取りなどの生産活動に従事。
専門病院における受診科目および病名
内科(遺伝科):歌舞伎症候群 児童神経科:部分てんかん 整形外科:脊柱側弯症 眼科:近視
耳鼻科:難聴、アレルギー 歯科:定期健診 虫歯は1本もありませんでした 婦人科:無月経
定期的な「空腹時血糖値」の測定はしてこなかった。
<経過>
04/30 この頃から大量の水をほしがる。毎晩の夜尿症が始まる。
05/01 この頃からオムツの使用量が増える。
05/05 咳が出始める。風邪の症状。水分を常に求めるようになる。
05/07 かかりつけの耳鼻科を受診。薬を処方される。
05/08 症状の改善が見られない。
05/09 ブログ パソコンの最中も横になるようになった。夜、少し苦しそうであった。
05/10 覇気がなくなる。ブログ。夜、眠るのに苦しく、熟睡できず。
05/11未明 苦しくて眠れないようで、救急救命センターへ連れて行く。
・自力では歩けない。センターでは記憶をなくしていた。
・検査の結果、医師は『糖尿病』または『血糖値異常』の病歴の質問を受ける。
・『糖尿病』または『血糖値異常』の履歴はない」と答える。
・07時頃、集中治療室へ搬送。
・09時、集中治療室から電話。直ちに来所されたいとのこと。
・医師からの当面の目標説明
◎肺炎治療を優先し、その後糖尿病治療する。
・17:30頃の状況
◎血糖値 500以上 MAXは600以上
◎肺炎を併発。レントゲンを比較すると救急救命センター到着時と集中治療室時では大きな差があった。
◎病院到着後約4時間で肺が真っ白になった。
◎自己呼吸ができないため、医師がふいご状の物を使い呼吸の補助。その後人工呼吸。
◎意識障害
05/12 人工呼吸器が外れる。自己呼吸となる。注射針、酸素マスク等外すので身体拘束を依頼した。
05/13 主治医より「Ⅰ型糖尿病」と診断される。
05/14 主治医より、痰を分析したところ、肺炎の原因が2種類の雑菌であることが分った。
1つは真珠腫性中耳炎と同じ菌。もう1つは不明。
05/15 集中治療室から一般病棟(糖尿病の病棟)へ移動。肺炎がかなり改善したため。
05/16 自分の手・足を使って2回ほど栄養チューブを外したとのこと。
05/17 引き続き栄養チューブと酸素吸入。
05/18 家族がいることは判断でき、声が聞こえると暴れる。
05/20 栄養チューブ不要となる。酸素吸入は継続。ウォーターゼリーを飲む。薬を混ぜて飲ませる。
05/21 昼・夕食はおかゆが出る。
夜はカレーライス、プリン・フルーツ、アイス。1時間掛けて食べさせる。
家路につくおり、「お父ちゃん、仕事? バイバイ」と言いながら一生懸命手を振ってくれました。
(これが最後の「ことば」になりました・・・含蓄に富んだ言葉で、一生忘れません。 無念)
05/22 午後一般病棟から集中治療室へ。意識もあり、少し話をした。
05/23 主治医の説明『別の菌により肺炎』。肺炎は最初のときより少し重い。
意識あり。夜の説明で、動くので麻薬成分を入れる。気管挿管。
改めて、歌舞伎症候群と易感染症の説明。思い当たるところが数々。米国調査結果64%
05/24 朝、様態は変わらず。
夕方主治医の説明「貧血気味」のため輸血をしている。様態は横ばい。
05/25 夕方医師の説明「肺にたまった水を薬を使って尿として排出している。これは上手くいっている。
ただし、肺には新しい水がたまっている。この治療を続ける」
看護師により薬7種(カリウム、てんかん2種、抗精神剤、抗生剤ほか)
05/26 夕方主治医の説明「レントゲンの結果肺炎の状況は変わらず。尿はたくさん出ている。この治療を継続」
父からの言葉掛けに敏感に反応し、動く。動くことは器具がずれる可能性があり良くない。
血糖値は191。計画的に血糖値を高く維持しているとのこと。
05/27 看護師からの今日の変更点を聞き取る
・ヘモグロビンが不足しているため輸血を実施中。
・今まで人工呼吸器をフルパワーで働かせていたが少し絞った。
05/28 16:50頃病院看護主任より電話
病院の都合でICU内で移動。病状とは無関係。
直ちに病院へ行き確認。
人工呼吸器のパワーはかなり下げてあった。
主治医からの説明を明日17:00に行いたい。
お尻かぶれが激しいので、オムツを通気性の高いものに変えてほしい。
父はわが子の手を握って少し寝てしまった。
05/29 主治医より説明
レントゲンを見せながら肺炎は少し良くなった。現在人工呼吸器の酸素濃度70%。
ただし、気管挿管は2週間が限界。その後は気管切開し、酸素を供給する。
月曜日に耳鼻科の医師と切開手術について打ち合わせする。
05/30 人工呼吸器の酸素濃度は70%のまま。昨日と比べ自己呼吸の頻度が増したような気がする。
タオル、石鹸の要望があった。
眠らされていはいるが、父・母の気配を感じ、交互に寝返りを打つ。
05/31 人工呼吸器の酸素濃度80%。自己呼吸の割合は増えたと思う。
一つ一つの呼吸は大きく、モニターの酸素量はmax96を示す。下痢はかなり改善した。
ハンカチに梓の匂いをたくさんつけ、自宅で飼い犬に嗅がせたが反応はあまり無かった。
06/01 今日は3回訪問。人工呼吸器の酸素濃度60%。
昼は真珠腫性中耳炎の担当医(14年間付き合い)から気管切開手術の意義の説明を受ける。この医師から説明を受けたことは良かった。
夜は執刀医より明日午後3時以降に執刀すること。手術の内容、伴う危険の説明を受ける。
執刀医は父の耳下腺腫瘍の摘出手術を執刀。
06/02 今日は「気管切開手術」
16:42手術室へ入る。
17:25医師数名があわただしく手術室へ入る。
17:35頃主治医が説明「呼吸が止まった。心臓マッサージをしている。心肺蘇生器を使うことがあるかもしれない」
18:37急性呼吸窮迫症候群により他界。
執刀医の説明「挿入は成功したが、酸素を送っても反応しない」主治医の説明「肺炎が重篤な状態であった」
父の質問「本当にこの手術をして良かったのか」 主治医の説明「回復状態に応じ慎重に計画だてて行った。本人にはベストな治療」
解剖をしたい旨の申し出があったが、早く家へ帰りたいこと、これ以上切り刻まれることは耐えられない為、CTのみとし、解剖は断る。
後日、気持ちの整理がついたら主治医をたずね、話を聞くことを約束する。
主治医は検証委員会を病院内で実施する旨家族に伝える。
一般病棟での様子 遺影はこのページの写真を使用
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